机の上の火垂る。


John Frusciante - Smile From The Streets You Hold

またあの時の昔話になるけど記事にしてるのは10回に1回ぐらいで本当は2日に1回ぐらい未だにおれを襲ってくるから。

 

 

 

タケさん、いま何してるかな。

タケさんは当時25歳で沖縄出身で全身タトゥーだらけ、訛りが酷くていつもおれに彼女を作れってうるさかった。肩の綺麗なバラのタトゥーが印象的だつた。もうあれからほとんど連絡もとっていない。

おれと意識が無くなるまで薬でぶち上がったり死ぬほどマイノリティーになったりたけさんの心の闇を泣きながら赤裸々に聞いた日もあった、だいたいマリファナを一緒にやった後おれがタケさんに米を炊けとゆわれて2人で白飯に塩をかけて上手いっつて食ってた。

匂いが充満した部屋でおれ達はただただ生き方が分からない様子だった。マリファナを吸って酒を飲んだ後音楽を流して米を食ってまたマリファナを吸って酒を飲んでオキシコドンを潰して鼻から吸った後コカインをやってまたマリファナをした。そろそろ眠ろうかと睡眠薬を飲んで各自の部屋に戻った。それでも僕は眠れなかったから1人で鼻から粉を吸い込んで精子を出した後ついでにマリファナをダメ押しでもう一回した。それでも眠れやしなかった。机に座って見える火垂るの数を数えた。

気づけば意識を失っていて起きて顔を洗うより先にマリファナを巻いた。風呂も入らずヒゲも剃らずボロボロでギターを持ってその辺をウロついて黒人やらホームレスによく物乞いされたり襲われかけたりした。

そんな生活を約2ヶ月送っていた。

 

タケさんはある日お前はおれに似ているって言った。おれもそう思っていた。自分がどうゆう人間か分からないままおれの歳まで生きてしまうとこうなる。お前はそうゆう奴だ。でもそれはやめろ。お前は音楽を本気でできるなら絶対それを天職って信じてやり抜け。相変わらず血走った目でおれにそうゆう感じの事をいった。僕はすでに自分を信じきる事なんて出来ずにいた。タケさんがいる時以外はずっと泣いていたしもう自分を表現する事なんてできないと思ったし、僕はずっと孤独に生きていくか死んでいくかどっちでもおんなじような事に思えていたし、呼吸するようにギターを弾いたってそれがその先に繋がるイメージがまるで思い浮かばなかった。毎日ベッドでニヤケながらヨダレと涙を流して消えてなくなりたいってそう思っていた。本当の自分は2ヶ月間真っ暗なところでうずくまったままだったし……

タケさんはニーチェの名言集が愛読書でその日ニーチェの話と抜粋した言葉を僕に与えてくれた。少し心が安らいだ。

タケさんはひと足先に自分の部屋に戻った。

僕は同じ言葉を思い出して勇気が出たり、悲しくなったり、惨めになったり、泣きたくなったり、嬉しかったり、1人ではないと思ったり、色んな感情に襲われた。

その後ベロベロになって帰ってきた隣の部屋の3つか4つか5つぐらい年上のアル中の人(名前も覚えていない)と少し話した、彼女も彼氏にフラれて悲しみの底にいるみたいだった。僕らの周りは闇だらけだった。彼女はハッパはしないと言うので僕はもう一本吸った。アル中の彼女はハッパの気持ち良さが理解できない様子だった。酒があればどこまでも飛べると虚ろになった目で話した。僕は飛び方が違うと一瞥した。

しばらく話した後彼女が僕を部屋に強引に連れていった。その後僕と彼女は裸で彼女の部屋にいた。彼女はほとんど意識がない様子で誰かも分からない男の名前を何度も呼んで喘いだ。僕はまた死にたくなった。

 

タケさんの隣の部屋、1番端に住んでいたのはダイスケさんといって名古屋出身のカメラマンだった。彼も全身にタトゥーが入っていて左肩に綺麗な砂時計のタトゥーが入っていて、ハイになるたびに砂時計の儚さと美しさについて耳にタコができるぐらい聞かされた。

彼はある日どこかの黒人グループからマリファナを鉢ごと持って帰ってきて壁じゅうに満遍なくマリファナを吊るしていた。ダイスケさんの部屋に行くと適当に手を伸ばしてハッパをちぎり取ってそのままスラッシャーで潰して新鮮なハッパをいつでもいくらでも堪能できた。

僕はいつもハイの状態がいつまでもずっと続けば幸せなのに、と口癖のように呟くようになっていてある日ダイスケさんは痺れを切らしたようにおれはハッパしてなくても幸せだと言った、考え方しだいと言った、僕は泣いてしまった。

きっと泣いたのは真っ暗な所にいる方の僕だと思った。その時初めてもう日本に帰りたいと思った。ただ周りにボロボロになって変わってしまった自分を見られるのが嫌だった。もう誰にも会いたくないと思った。が、もう1人の僕がみんなに会いたいと心から願い始めた。寂しさは人を殺すのだと気付いた。日本に帰ったらみんなに会おう。そう思えた。

 

 

日本に帰る日、相変わらず生活はボロボロだったが日本に帰るというその心意気だけで前を向いていた。タケさんが大阪で売人を紹介してやると言ってくれてどっちつかずの返事をした。タクシーに乗り込むぎりぎり直前まで薬をした、もうしばらくできないと思ってこれまでにないぐらいたらふく薬を摂取した。泣きながらタケさんとダイスケさんに挨拶をしてタクシーに乗り込んだ。ニューヨークの景色を見ながら初日には考えれないほど流暢にタクシーの運転手と会話をした。

 

僕は相変わらず泣いていた。

今度はこっちの僕も泣いていた。